大阪高等裁判所 昭和48年(行コ)4号 判決 1975年2月19日
大阪市住吉区上住吉町一八一番地の一
控訴人
住吉税務署長
宮下藤繁
右指定代理人
麻田正勝
同
吉田秀夫
同
中西時雄
同
宮崎雄次
同
石川智
同
秋本靖
大阪市住吉区万代東五丁目三四番地
被控訴人
松田吉男
右訴訟代理人弁護士
谷村和治
主文
1. 原判決を取り消す。
2. 被控訴人の請求を棄却する。
3. 訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一、求める裁判
(控訴人)
主文同旨。
(被控訴人)
1. 本件控訴を棄却する。
2. 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二、双方の主張ならびに証拠関係は、つぎの点を附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、右記載をここに引用する。
(控訴人の主張)
一、内容証明郵便(乙二号証)は、被控訴人の指示に基づいて差し出されたものである。右は、被控訴人名義の野本あて昭和三五年一二月一三日附内容証明郵便で、一億円の貸借が不成立に終った責任を追及し、得べかりし利益として一億円の支払いを請求するものであり、被控訴人名下の印影は、被控訴人の印章により顕出されたものである。この内容証明郵便が作成された昭和三五年一二月一三日当時には、被控訴人は韓国に旅行中であったが、原審での被控訴人の尋問結果によれば、「韓国の旅行中の自分に対して安田から、再三、国際電話で被控訴人を差出人とする野本治平あての内容証明郵便を出したいので、印鑑を押してほしい旨の要請があったので、右内容証明郵便の内容を知らないままそれを承諾した」というのである。しかしながら、
1. 乙一号証、原審での証人川島長浩、同松田正男の各証言、被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人は野本治平から同人所有名義の羽田空港の土地を担保として融資のときから一月後に二億円を返済するとの条件をもって一億円の融資の申入いを受け、これに応じて貸付金にあてる現金を調達したうえ、これを野本方に持参したところ、右土地がその所有権の帰属をめぐって裁判上係争中のものであることが判明したため、右融資をことわったが、すでに野本側において右土地につき被控訴人を権利者とし売買予約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記手続(以下、本件仮登記という)をなしていたこと、
2. このような場合、被控訴人は、野本に対し損害賠償(すくなくとも、右貸付金の調達に要した費用、その金利、上京費用など)を請求し得る立場にあり、無条件に本件仮登記の抹消に応するものとは、通常考えられないところ、右内容証明郵便の内容は、得べかりし利益一億円の支払いを要求するものであること、
3. 右内容証明郵便に対して、野本は被控訴人あて昭和三六年一月七日附内容証明郵便(乙三号証)をもって被控訴人の一億円の損害賠償要求を拒否したこと、被控訴人は自己あての内容証明郵便であるからその(乙三号証)内容を了知していたものと考えられること、
4. 韓国に旅行中であっても、電話などによって日本国内にいる者と旅行者との間で連絡が可能であり、現に、被控訴人は、原審での供述によれば、国際電話で同人の妻などと連絡していたと認められること、
5. 被控訴人は、一五才の頃、来日し、日本の旧軍隊に入隊していたこともあり、現在、日本および韓国において手広く事業を経営しているという被控訴人の経歴や社会的地位を考えると、内容証明郵便(乙二号証)の内容を知らずに自己の実印を押させる承諾をしたとは到底考えられないこと、また、原審での証人川島の証言によれば、川島は、本件金銭貸借が成立しなかったため、野本に対するあらたな貸主として安田を紹介したことにより、安田がはじめて登場したものであって、それ以前にあっては、安田は何らかかわりあいがなかったことが認められるので、安田から内容証明郵便(乙二号証)を差し出したいから実印を押してほしいと要請された旨の原審での被控訴本人尋問の結果は信用できないものであること、
以上の諸事実から考えて内容証明郵便(乙二号証)が被控訴人の指示に基づき発せられた文書であることを容易に推認することができる。
附言すると、私文書については、作成名義人の印影が当該名義人の印章によって顕出されたものであるとき、盗捺その他特段の事由について反証のない限り、該印影は作成名義人の意思に基づいて顕出されたものと事実上推定するのを相当とするから、民訴法三二六条により該文書は真正に成立したものと推定されると解すべきである(最高裁昭和三九年五月一二日判決民集一八-四-五九、七)。しかるに、被控訴人のこの点に関する供述は信用できず、反証がなされていない。
したがって、原判決が右内容証明郵便をもって被控訴人の意思に基づいて作成された真正な文書とは断じ難いとした点において、証拠の評価を誤まり、経験則に反する判断をした事実誤認の違法がある。
二、被控訴人の代理人松田正男と野本の代理人牧野喜一郎との間で、本件仮登記の抹消と引き換えに野本が被控訴人に二、〇〇〇万円を支払う旨の契約が成立したものであって、このことは、覚書(乙四号証)によって明らかである。右契約成立時には、被控訴人が韓国に旅行していたが、実弟松田正男に右契約締結の代理権を授与していたものである。すなわち、
1. 右覚書は、被控訴人が野本に対し一億円を請求していた事案に関するもので、被控訴人の権利義務の発生にかかわる重要な事柄を内容としており、しかも、被控訴人の弟にあたり被控訴人と共同してタクシー会社の営業にあたっている松田正男が被控訴人に何の連絡もせず、右覚書の作成に応じたとは到底考えられないこと、
2. 原審での証人川島長浩、同松田正男の各証言によれば、野本側の依頼を受けた川島らは、右覚書作成の一週間前頃に来阪し、松田正男との間で、本件仮登記の抹消に関する交渉を重ねたが、当初、松田正男は被控訴人の帰国後交渉してもらいたいと述べていたのに、結局、右交渉に応じ右覚書の内容の合意に達していることが認められ、これと被控訴人が韓国に旅行中、国際電話により妻と連絡をとっていた事実を考えると、松田正男は、川島らとの交渉程度においても被控訴人と連絡をとったものと推認されること、
3. 本件仮登記抹消登記申請書に添付された被控訴人の印鑑証明書および外国人登録済証明書の各発行日付は、昭和三六年九月一八日および同月二一日であり、右覚書の作成された同月一九日に極めて接した日に右各証明書が発行されており、ことに、外国人登録済証明書には、「登記のため東京法務局に提出する目的の下に発行するものであって、この目的以外には効力を有しない」と記載されており、原審での被控訴本人尋問の結果によれば、右各証明書は、韓国滞在中の被控訴人の指示に基づいて本件仮登記抹消手続に用いるために交付を受けたことが認められ、このことは、被控訴人が弟の松田正男から右覚書の内容についての報告を受け、これを了承したことを如実に物語るものであること、また、右覚書の作成には被控訴人の秘書である尾崎勇が立会っており、被控訴人が尾崎から右覚書の件を聞いていないとは、信じ難く、その内容を聞いていたと思われること、
以上の諸事実からすると、被控訴人が松田正男または、尾崎勇から右覚書作成以前に、その内容について連絡を受け、正男に覚書作成の代理権を授与していたものと推認できる。
原審での証人松田正男は、この点に関し、「ぶさいくだから報告をしなかった」、「二、〇〇〇万円に簡単になったということで、これは信びょう性がないんだということで連絡をとらなかったんです」とあいまい、かつ、不自然な証言をしており、ただちに、信用できないものである。
したがって、原判決には、覚書の内容である契約は松田正男の無権代理行為で無効であるとする点においても証拠の評価を誤り、経験則に反する判断をした事実誤認の違法がある。
三、右覚書作成の一月後である昭和三六年一〇月二六日に、小原勝次司法書士事務所で、川島、牧野、安、木島こと朴弘ほか数名が参集し、本件仮登記抹消の手続が行われ、その際、川島と安において用意した四、〇〇〇万円(現金二、〇〇〇万円、小切手二、〇〇〇万円)が朴を通じて牧野に交付されたのち、二、〇〇〇万円の小切手は被控訴人の代理人安に渡され、同人がこれを持ち帰ったものである。安が被控訴人の代理人として右小切手を受領したものであることは、つぎのことから明らかである。すなわち、
1. 右小原事務所で、本件仮登記抹消手続のために必要な書類と引きかえに二、〇〇〇万円の交付が行われたことから、それは右覚書の契約内容にほかならないと認められること、
2. すでに、述べたとおり、被控訴人は、右覚書の内容を知ったうえで、本件仮登記抹消のため、印鑑証明書、委任状などを安に任意に交付していること、
3. 被控訴人と安とは、同じ韓国人である関係より以前からの知り合いであり、後記のように、本件仮登記抹消後である昭和四一年五月当時にも、被控訴人が会長をしている鳩タクシー株式会社と安との間に、土地の売買がなされているなどの関係が続いており、被控訴人と安との関係は余人に比してかなり密接であること、
以上の諸事実からすれば、被控訴人が安に対して、右二、〇〇〇万円の受領権限を与えていたことはたやすく推認できるのである。
したがって、原判決が、右二、〇〇〇万円の授受について、安に代理権がなかったとする点においても証拠の評価を誤り、経験則に反して事実認定を行ったもので事実誤認の違法があると考える。
四、 また、安が右二、〇〇〇万円を受領した昭和三六年一〇月二六日から約五年を経過した昭和四一年五月に、被控訴人が会長をしている鳩タクシー株式会社と安との間で、土地売買をしている事実および被控訴人が安に対して右二、〇〇〇万円を横領したことについて告訴するなどの問責をした形跡がみられないことなどから、右二、〇〇〇万円を安において横領したことはないもというべきである。
かりに、安が二、〇〇〇万円を横領したものとしても、被控訴人主張の雑損控除の適用は認められない。すなわち、本件に適用される昭和四〇年法律第四五号による改正前の所得税法二八条によれば、雑損控除の適用を受けるためには確定申告書に雑損控除に関する事項の記載を要する旨定められているところ、被控訴人は、昭和三六年分の確定申告書に安に横領された旨の記載をしていないので、雑損控除の適用はない。
(被控訴人の主張)
一、被控訴人は、野本に対する融資金を用意したものの、結局、現実には同人に対し一銭の融資もしなかったのであり、野本側において、融資を受けるために、先走って無断で設定した本件仮登記を抹消するのに、損害賠償を請求することは、普通考えられないことであり、まして、一銭の貸借もないのに、一億円の損害賠償を内容証明郵便(乙二号証)をもって野本に対し請求することは、極めて非常識であって、鳩タクシー株式会社取締役会長という社会的地位を有する被控訴人にとっては、到底考えられないことである。これは、本件土地に関し策動していた安田らの画策としか考えられないのである。
安田は、右内容証明郵便を出すことにつき関与しているし、また、当初より本件土地の売買にも関係していたものである。すなろち、証人川島長浩の証言によれば、安田は被控訴人より前に、本件土地による融資の話を聞知していることが認められ、原審での被控訴本人尋問の結果によれば、本件羽田空港敷地による融資の話は、安田から持ち込まれたことが認められ、さらに、証人木島弘嗣こと朴弘の証言によれば、同人は安田の依頼で野本に対する四、〇〇〇万円の貸主に仕立てられて仮登記名義人になったことが認められるのであって、安田が本件土地による融資問題に早くから関与し、策動していたことが明らかである。そこで、安田らは、本件仮登記が残っていることに目をつけて、木島を使って四、〇〇〇万円融資時に、二、〇〇〇万円の損害賠償金を野本からとることを画策、実行したのが真相と思われる。
被控訴人は、内容証明郵便(乙二号証)を本件更正処分事件において、はじめて、みたものであり、それまでは、安田がどのような文章の内容証明郵便を書き送っていたのか全く知らなかったのである。
二、被控訴人の弟である松田正男は、昭和三六年九月一九日頃、野本側関係者が突然来阪して、本件仮登記の抹消問題を持ち込んできた際には、問題が被控訴人のことであるうえ、事情がよくわからず、また、相手方とも初対面でその職業、人柄もわからないところから、真剣には、応待していなかったのである。このことは、覚書)乙四号証)の文章だけでなく、松田吉男代松田正男の署名までが野本側の牧野喜一郎によって書かれており、その名下に押された印影も事務所にあったあり合せの印によってなされたものであることからも看取されることである。
本件仮登記抹消手続のために使用された被控訴人の印鑑証明書の作成は、昭和三六年九月一八日附であって、覚書(乙四号証)の作成された同年九月一九日以前のことであり、これは、右印鑑証明書が覚書とは関係なく用意されたことを意味するものと言うべく(被控訴人が交渉の経過を電話連絡により把握していたとすれば、交渉が妥結もしないのに、印鑑証明書の用意を指示することは考えられないことである)、被控訴人が、安田からの要請により印鑑証明書を手配したという供述を裏付けるものであるが、控訴人主張のように、覚書作成の件について松田正男から被控訴人が連絡を受けていることを裏付けることにはなり得ないのである。
したがって、被控訴人が松田正男に対し仮登記抹消の件に関し代理権を与えた事実は全く認められないのであって、覚書の内容である契約を松田正男の無権代理行為であって、これを無効とした原判決の判断は全く正当である。
三、被控訴人は、二、〇〇〇万円を直接、または安田から受領した事実はなく、真実に、被控訴人に所得もないのに、所得があったものとみなした本件再更正処分は洵に意外なものであり、被控訴人にとっては、到底納得し得ないものである。右二、〇〇〇万円は、銀行保証小切手であったのであるから、調査をすれば、その振込人なども判明したと思われるが、控訴人は、その調査をせず、被控訴人に二、〇〇〇万円の所得があったものとして課税をしたものであって、不当違法な処分であると言わなければならない。
(控訴人の証拠)
1. 乙一二号証。
2. 証人山口侃一の証言。
(被控訴人の証拠)
1. 甲九号証。乙一二号証の成立は不知。
2. 被控訴本人尋問の結果。
理由
一、被控訴人が、その主張のように、昭和三六年度分所得税につき更正処分、再更正処分、過少申告加算税賦課処分を受け、これに対し控訴人に異議申立をし、控訴人の決定がなかったので大阪国税局長に審査請求をしたものとみなされ、同局長においてこれを棄却したこと、野本治平が被控訴人に対し東京都大田区羽田江戸見町一六〇九番地の一雑種地一九町三反七畝五歩(本件土地という)を担保に一億円の借入申込をし、現実に借入れる前に本件土地につき、売買予約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記をしたが、結局、右金員を借入れることができなかったことはいずれも当事者間に争いがない。
二、成立に争いのない甲一、二号証、乙一、八号証、九号証の一ないし三、一〇号証、一一号証の一および二、当審での被控訴本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲九号証、官署作成部分の成立ならびに被控訴人名下の印影が被控訴人のものであることに争いがなく、その余の部分は原審での被控訴本人尋問の結果によって真正に成立したものと認める乙二号証、官署作成部分の成立に争いがなく、その余の部分は証人牧野喜一郎の証言により真正に成立したものと認める乙三号証、証人松田正男および同牧野の証言により真正に成立したものと認める乙四号証、牧野喜一郎署名部分は同証人の証言により真正に成立したものと認め、その余の部分の成立に争いがない乙五号証、小原勝次署名部分は同証人の証言により真正に成立したものと認め、その余の部分の成立に争いがない乙六号証、証人山口侃一の証言により真正に成立したものと認める乙一二号証、証人川島長浩、同木島弘嗣こと朴弘、同松田正男、同牧野喜一郎、同小原勝次、同堤清、同山口侃一の各証言、当審および原審での被控訴本人尋問の結果を総合すると、
1. 被控訴人は、昭和一三年頃、来日し、戦時中は旧日本軍隊に入っていたこともあるが、現在、大阪市内に本社のある鳩タクシー株式会社の取締役会長であり、松田正男は、被控訴人の実弟で、右会社の代表取締役社長である。
2. 川島長浩は、野本治平より本件土地を担保として、金員借用方の依頼を受け、安田誠こと安珉濬と相談のうえ、貸主として被控訴人を野本に紹介することにした。被控訴人は、川島とともに野本に会い、その結果、同人に一億円を融資することとし、鳩タクシーが他から五、〇〇〇万円を借入れたものを、被控訴人が借り受け、これらをあわせて一億円を用意することにした。そこで、昭和三五年一一月初旬頃、鳩タクシーの専務は、安とともに右金員を持参のうえ、上京して野本に会ったが、調査結果、同人の言に反し、本件土地が国との間に所有権につき裁判係争中であり、かつ、東京都より税金滞納のため差押えられているものであることが明らかとなり、到底、貸金担保となり得るような確実な物件でないことが判明した。被控訴人は、野本らの不信行為をなじり、結局、融資を拒絶した。
3. 一方、野本側は、金員の借入れを急いだためか、被控訴人にはかることなく、そのとき、既に、本件土地につき、昭和三五年一一月一〇日附をもって、被控訴人を権利者とし、売買予約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記をしていたので、金銭貸借が現実になされなかったのに、本件仮登記だけがそのまま登記簿上、残存する結果となった。
4. 被控訴人は、昭和三五年一二月頃、当時韓国に滞在していたが、安より野本に本件仮登記抹消に関し、内容証明郵便をもって通知をしたいので、これに印を押すようにとの電話連絡を受け、実印を保管していた被控訴人の妻に実印を押すように伝え、捺印させた。そこで、安は、被控訴人名義の昭和三五年一二月一三日附内容証明郵便をもって、野本に対し、本件土地が野本の言に反し、担保価値がなく、そのために、被控訴人が融資するに至らなかったものであるから、当初の約束である一億円の謝礼および利息の支払いを求める旨の通知をした。野本は、昭和三六年一月七日附内容証明郵便をもって被控訴人に対し、被控訴人の右要求を拒否する趣旨の返事を出した。被控訴人は、妻より右返事のきたことを聞いて知っていた。
5. その後、川島および牧野喜一郎らは、野本から本件仮登記抹消のため被控訴人と交渉するようにとの依頼を受け、昭和三六年九月一〇日頃、来阪したが、被控訴人が韓国に滞在中であったので、会えず、大阪市東区博労町の松田総本店で松田正男および被控訴人の秘書尾崎勇と交渉した結果、同月一九日に、野本の代理人牧野との間で、野本が被控訴人に同月三〇日までに二、〇〇〇万円を支払い、同日、被控訴人が本件仮登記の抹消手続をするとの約束ができ、牧野においてその趣旨の覚書を作成した。この覚書には、被控訴人の代理として松田正男が、立会人として尾崎勇が、野本の代理として牧野がそれぞれ押印した。そして、松田正男は、その際、被控訴人と連絡し、本件仮登記抹消手続に必要な印鑑証明などの書類を作成準備しておくと述べていた。
6. 被控訴人は、誰かに命じて、韓国滞在中の昭和三六年九月一八日に印鑑証明書を、同月二一日に登録済証明書をそれぞれ堺市長より交付を受けさせており、登録済証明書には、登記のため東京法務局に提出する目的のもとに発行するものであって、この目的以外には効力を有しない旨が記載されている。そして、被控訴人は、同年一〇月六日に帰国してから数日後、安および川島らが本件仮登記を抹消するため印鑑証明書などの書類をほしいといってきたので、さきに交付を受けていた印鑑証明書など、委任状を直接、安に手渡した。
7. その後、野本は、被控訴人側の催促にも拘らず、覚書で約束した二、〇〇〇万円を調達し、支払うことができなかった。そこで、野本は、安および川島に金策を依頼し、両名において右二、〇〇〇万円を含む四、〇〇〇万円を調達し、これを野本に貸与することにした。しかし、形式的には、木島弘嗣こと朴弘を貸主とし、同人から野本が金四、〇〇〇万円を借受け、うち二、〇〇〇万円を被控訴人に支払い、本件仮登記が抹消されたときに、あらためて本件土地につき、朴を権利者とする仮登記手続をすることにした。そして、昭和三六年一〇月二六日に、東京都大出区大森北四丁目一三番一九号小原勝次司法書士事務所で、安、川島、牧野、朴および藤原某女が集り、安および川島の用意した現金二、〇〇〇万円銀行保証小切手額面二、〇〇〇万円を一旦、朴に渡し、同人から野本の代理人牧野に渡したのち、安があらかじめ持参した本件仮登記抹消のため必要な書類とひきかえに右小切手を受領し、さきに、帰った。川島、藤原らは、右現金二、〇〇〇万円を野本宅に届けた。
8. 昭和三七年八月二一日頃、野本は、前記四、〇〇〇万円の借金の返済として、前記不動産についての仮登記の抹消登記手続に要する書類と引換えに、金八、三〇〇万円を朴に支払い、安は即日朴から右金員を受領していること、
9. 安は、昭和四一年五月三〇日に、その所有にかかる埼玉県所在の山林を被控訴人が会長をしている鳩タケシーに売却した。
ことを認定することができ、前掲証拠のうち、右認定に反する部分は採用しない。
三、以上の認定事実によれば、被控訴人が野本に融資をせず、本件土地に本件仮登記がなされた以後、被控訴人が二、〇〇〇万円を取得するに至る経過は、つぎのとおりであると認めることができる。
1. 右二、4認定の被控訴人名義の内容証明郵便につき、被控訴人は、安から判を押すように連絡を受けて、妻に自已の実印を捺印させているのであるから、社会生活上重要な実印を捺印させる以上、その文書の内容を聞いたうえで捺印させたものと解すべきで、内容証明郵便の内容を知らずに実印を捺印させることは、通常考えられないところである。したがって、この内容証明郵便による文書は、被控訴人の意思に沿うものであって、その意思に反するものとは解されない。
2. また、覚書の約束は、松田正男が被控訴人を代理してなしたものと解すべきである。松田正男は、被控訴人の弟で、鳩タクシーの社長であり、その会長である被控訴人とは緊密な関係にあるし、本件においては、鳩タクシーの金員を被控訴人に貸付けて、これを被控訴人から融資しようとしていたのであるから、本件金融に関しても松田正男と被控訴人は密接な関係にあり、松田正男が被控訴人の意思に反して行動するものとは考えられないところである。本件覚書には、被控訴人の秘書尾崎勇が立会人として捺印しており、通常、秘書は、上司と意思を通じて行動するものと考えられるから、尾崎が立会人となっていることは、被控訴人が、覚書の内容である約束をするにつき、松田の行動を承認していたことの証左ともなり得る。また、覚書において野本が被控訴人に金員を支払うことにしたのは、前記二、4で認定した被控訴人が野本に損害賠償として金員を要求したことも符合しているものである。ことに、被控訴人が韓国滞在中、右覚書が成立した昭和三六年九月一九日に接着した日に、印鑑証明書および登録済証明書を受領し、この登録済証明書には、登記のため東京法務局に提出する目的以外には効力を有しない旨が記載されていることからみても、被控訴人が覚書の内容を知っていたからこそ、その義務履行のため本件仮登記抹消登記手続に必要な書類を準備していたものとみるべきであって、右書類の引渡しと引換えに支払いをうける二、〇〇〇万円についてだけ知らなかったものとみるべき根拠はない。このような次第で、被控訴人が松田正男の覚書の約束に関する行為を承認し、かつ、同人に代理権を与えていたものとみざるを得ない。
3. さらに、被控訴人は、覚書に基づいて仮登記抹消の際、野本より支払いを受ける二、〇〇〇万円の受領権限を安に与えたものというべきである。安は、本件融資の当初より被控訴人を紹介したり、その後、被控訴人名義の野本あて内容証明郵便の作成にも関与していたが、被控訴人は、安に対し本件仮登記抹消登記手続をするのに必要な印鑑証明書、委任状などを直接手渡しているのであり、かつ、本件仮登記抹消は無条件でなく、抹消とともに野本より二、〇〇〇万円の支払いがなされるのであるから、いわば、二、〇〇〇万円は本件仮登記の抹消料ともいうべきもので、本件登記抹消と無関係ではなく、このような場合、本件仮登記抹消に必要な書類を安に手渡したことは、二、〇〇〇万円の支払方法が別途に定められているなど特段の事情の存しない限り、安に右金員受領の権限を与えたものと解するを妨げない。
4. 安が被控訴人を代理して受取った二、〇〇〇万円の小切手は被控訴人の所有に帰し、当時、安がこれを被控訴人の口座に振込まなかったとしても、被控訴人の安に対する同額の債権として存続したわけであるから、被控訴人は右時点において二、〇〇〇万円の所得があったと認めることができるのであって、被控訴人が右債権を安から取立てなかったとしても、安は昭和三七年八月末頃には明らかにその弁済をするに十分な資力があり且つ未だ所在も晦らましていなかったのであるから、被控訴人が自発的又は自らの怠慢によりその取立をしなかったものと認むるのが相当である。
以上の認定に沿わない前掲証拠の部分および被控訴人の主張はいずれも採用しない。
そうすると、被控訴人は、覚書に基づいて昭和三六年一〇月二六日に、小原司法書士事務所で、代理人安を通じ野本の代理人牧野から二、〇〇〇万円を受領したものというべきである。
四、被控訴人は、安が二、〇〇〇万円を横領したと主張するけれども、これを認めるに足りる証拠は存しない。却って、安は、昭和四一年に至って鳩タクシーに山林を売渡しているような事情があるうえ、被控訴人が安を横領の故をもって告訴したような事実も認められないのであるから、前記二、〇〇〇万円は被控訴人の所得に帰し、安の横領の事実は存しなかったものと推測されるので、被控訴人の右主張は採用しない。
五、以上によると、被控訴人が、昭和三六年度に、二、〇〇〇万円の雑所得を得たことが明らかであるから、右雑所得の存することを前提としてなされた本件再更正処分および過少申告加算税金賦課処分は、いずれも相当である。
よって、これが取消しを求める本訴請求は、いずれも理由がないので棄却すべきであり、これと結論を異にする原判決を取消し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長瀬清澄 裁判官 岡部重信 裁判官 小北陽三)